今年度最後の「ともに話す」は、大空小学校初代校長、木村泰子さんがゲストでした。泰子さんから投げかけられた『おかしくないですか?』というテーマで、参加者みんなで和やかに対話をしました。
まずは、申込み時にみなさんからいただいた質問から。
最近話題の映画「小学校それは小さな社会」について、
子どもの「学校ってどうしていかなくちゃいけないの?」にどうこたえるか、
泰子さん自身の子育てについて、
保幼小接続が大切と言われているがどう考えるか、
管理職じゃない立場の自分に何ができるか、
保護者に求めることは、
社会で生きるために何より大切な「つながりをつくる力」をおろそかにしていないか、
・・・参加者のみなさんの質問や迷い、ご意見から、泰子さんの考えやそれを深めるための新しい問いをたくさんいただきました。印象的だったことをいくつか。
200人の子どもがいたら、200通りの正解がある。全員に同じ「正解」を教えることが教員の役目?教師には何ができるのか。子どもの「前で」ではなく、下から、隣で。「自分の言うことを聞いていたらうまくいく」という「指導力」は「洗脳力」。子どもから「本当の声」を聞くことができる大人になること。完璧な人間はいないから、「主語が教員になってる」と周りの人間が気づいて「今のアウト!」と言ってくれる関係性が学校の中にあることが大事。チームで多方面から子どもをみようとする空気を。もし1人が強い指導をしても、別の大人が「ごめんな、もう1回やり直すわ」と代わり、関わりをもつこと。
「どうして学校にいかなくちゃならないの?」「あんたのことなんで私がわかんの?決めるのはあんたやろ?」というやり取りを、ある講演会で小学校5年生としたことがある。学校内と違ってフォローしてくれる人がいないで「やってしまった」と思ったその1年後。同じ場所でその母親と会った。「今まで、学校おもろない意味もない、と言って登校していなかったが、意味を探しに毎日登校している。何の意味もない、意味わからん、と文句をいいながら毎日通っている」答えを出すのはその子しかいない。戦後すぐの時代じゃないんだから、答えを大人が持っていたら残念過ぎる。決めるのはその子。他人にはわからん。
小学校に入った時のために幼稚園で練習、中学校に入った時のために小学校で練習、そんな連携は不要では?幼児期に存分に自由な環境で培われた力は、どこに行っても絶対消えない。いつかどこかで花を咲かせる。おかしいと思うことに加担しない。「抗う」のではなく、「大切だと思うことを実践する」こと。もし学校に行けなくなったら幼稚園に帰ってきて大切なことを確かめる、しんどくなった時にそんな「連携」を発揮すればいい。
「学校」をつくるのは自分。校長に言われて動くのではない。もし自分が校長だったらどうするかを考えながら(ノートにメモしながら)、主体性と当事者性をアップデートしていく。
保護者にも主体性と当事者性を。「保護者」は家だけ。学校では「保護者」でなく「サポーター」として、自分の子どもの周りにいる子どもたちの困り感を聞く。「なんかできることある?」と声をかける。周りの子どもが育ったら、自分の子どもも育ってる。学校からの「ありがとうございます」にも、「なんでお礼言うの?私の学校、地域の学校ですよ」って。
未来は民主主義。過去は軍国主義。軍国主義は指示、号令、命令。言うことを聞かないと怒られる。民主主義は対話。いかに人と人が対話するか、自分の考えをみんなが大切にする。多数決やじゃんけんじゃない。未来はますますわからないから不安が募る、過去の経験はわかっているから活かすことができる、だから未来(新しいこと)に向かうことに躊躇しがち。「未来をつくる」ことは「正解のない問いを子どもたちと問い続ける」こと。違うをリスペクトしあって、子どもと「学びのパートナー」になれるようトライすること。
指導要領が大きく変わったのに、学校行事にみる子どもの姿が変わっていないとしたら、それでいいのか?自分のことは自分で決める、人のせいにしない、という自分軸を持つこと。卒業式の目的は何か。卒業式は最後の授業。学んできた成果をみせてもらったらいい。教員が「どうみせようか、どうみられるか、こんなやり方やあんなやり方も需要がある」と考えるのは危険。子どもたちに任せればいい。
・・・質問者とやりとりをしながら、こんなおしゃべりが前半戦。後半に泰子さんが『おかしくないですか』と話題にしてくださったこと、それを発端にした参加者同士のおしゃべりはこんな感じでした。
2023年度小中不登校者数は34万6482人。「無理して学校に行かなくてもいい。フリースクールもあるし、オンラインでも出席可だし」という声も聞くが、『そもそも学校は無理していくところなのでしょうか』
無理していかないと行けないような学校ならば、変えていかないと。行きたい学校じゃない学校が悪い!
自殺、不登校、いじめ、過去最多。特別支援学級・学校数、過去最多。『子どもの数が激減しているのに特別支援を選ぶ子どもが増えているのはおかしくないですか?』
教師が主語になっているから、教師の指導にのらない子が特別支援に誘導されるのでは。本当はそういう子こそクラスの中で周りの人たちとつながっていかないといけないのに、「支援学級の方がこの子のためになる」と教師が判断してしまう。教員がその子の人生にずっとついて回ることはできないのに。子どもたちを分けない方が面白いし学びがある(そもそも社会は分けていない)のに、面白いことを起こしてはダメな空気がある。「ちょっと困る子はみんな支援学級」という学校や社会の雰囲気がある。「みんなと同じことができないと」「普通のことぐらいできるように」「周りに迷惑がかかるから」そんな言葉が聞かれることがあるが、周りが育ったら「迷惑」になんてならない。「人手が足りないので支援学級へ」という言葉も聞かれるが、支援者は周りにいる子どもたち。「みんな一緒に学び合うことができるための手段」こそが合理的配慮。
『障害のある子は学びの場を自分で決めることができないのでしょうか』
ひとたび学校に入ると、子どもの権利条約が幻に見えてしまう。子ども自身にどうしたいかを聞かずに決めてしまう。「おかしくないですか」と問い続けることは、社会を変える力になる。
学力の上位目標は「自立」から「自律」へ。「自立」は自分のことは自分でやること。「自律」は自分で考えて決定して行動すること。失敗したらやり直す、やり直したら成功体験に変わる、人のせいにしなくなる。お互いが適切に依存し合うことが大事。子どもは子ども同士の関係性の中で育ち合う。
「インクルーシブ教育で学力が下がらないか」という議論や、その子のありのままを「障害」と呼び違う部屋で訓練させることは、人権理念に反する。特別支援教育の目的は、「障害」を「長所」に変えること。学校は社会をつくるための学びの場。周りの子が豊かに育てば「障害」は「長所」になる。インクルーシブ教育の目的はすべての子どもが育ちあう事実を作ること。その子が「なりたい自分」になっているか。子ども同士の「違い」を対等な関係性にする。子どもと子どもつなぐ。
泰子さんからは、何度も繰り返し嚙みしめたい言葉がたくさん。
参加してくださったみなさんが、ご自身の悩みや迷いを率直に話してくださることで、学びが深まる時間になりました。
ありがとうございました!
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